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雄勝硯プロジェクト

この1年を振り返って-雄勝硯生産販売協同組合・理事長 澤村文雄さん(澤村製硯・代表取締役)

2012年06月28日

☆雄勝硯プロジェクトのレポートのバックナンバーはこちらよりご覧ください。

東日本大震災が発生してから、1年4ヶ月が経過しようとしています。

東北共益投資基金は、昨年11月の設立以降、4案件の支援を開始しておりますが、それぞれの支援先が時間の経過とともに再起に向けて着実に前進している一方で、地域のつながりの“新生”に向けた動きをいかにしていくかが、重要な課題となっています。

雄勝硯生産販売協同組合」理事長・澤村文雄さん(澤村製硯・代表取締役)は、これまでの1年をどのように感じ、雄勝町をどのように“新生”していこうと考えられているのでしょうか。

当基金の大里倫弘アドバイザーがお話を伺いました。

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- 震災当日は、どのような状況だったのでしょうか。

長く大きな揺れの最中、澤村製硯(以下、当社)事務所のラジオが転落してしまったため、車のラジオで、大津波警報を耳にしました。雄勝町伊勢畑地区の人々に高台避難を呼びかけながら、しんがりを務めました。自宅軒先の庭木(海抜20m程度)に昇って、首まで海水に浸かったところで水位の上昇がおさまり、首の皮一枚で命がつながりました。

多くの町の方は、とりあえず(澤村さんの)自宅の2階に避難(1階は浸水)し、(澤村さんの)自宅に貯蔵してあった食べ物などにより、震災初日の夜をしのぎました。高台にある小学校への避難が完了したのは、震災から3日後のことでした。

- 雄勝町の被害は、どれくらいの規模だったのでしょうか。

従前160世帯あった伊勢畑地区では、6~7名がお亡くなりになられました。いまだ行方不明の方もおられます。情報網も遮断された雄勝町は完全に孤立し、2日間ほど、雄勝町の惨憺たる状況を行政も認識できていなかったと聞いています。

- 震災により、ご自身の事業(澤村製硯)は、どれくらいの被害を受けたのでしょうか。

店舗、工場、道具、商材、すべてが流されました。

- その他の硯事業者の皆様の被害は、いかがだったのでしょうか。

伊勢畑地区にあった7社の販売業者すべてが、(当社と)同様に全壊しました。

雄勝硯生産販売協同組合(雄勝の硯産業)にて生じた被害は、どのくらいありましたか。

組合としての資産自体は小さく、直接的な被害という意味では大きなものはなかったです。しかし、組合が管理運営を受託していた伝統産業会館の建物が大破し、中にあった商材、資料類、道具などは、流失しました。

- 「雄勝硯復興」を決意するに至るまで、どのような経緯がありましたか。

震災直後は「生きるためにどうするか」に専念していましたが、組合でもみんなが一生懸命動いていけば雄勝にやっぱり帰りたいという人も増えてくるのではと思ったほか、後々(組合が)3代目で終わったと言われるのは申し訳がたたないと感じていて、なんとしてでも伝統は継いでいこうと考え、しばらくの後、硯産業復興を決めました。(組合に属する)各社個別での復興は現実的ではなかったため、組合としての再起を志しました。

(2011年)4月後半には、事業者数名と集まり、復興の意志を共有しました。5月中旬に、組合員全員に声をかけ、その旨を皆に周知しました。

その時点での目先の資金の算段は、当社の主力取引銀行からの支援獲得の可能性のみであり、いずれにせよ復興には十分でないことは明らかでした。不安はありましたが、「動き出せばなんとかなる!」という前向きな気持ちが、自分の背中を押していました。

また、幸いにも、母材となる雄勝石採掘の山は生き残っており、材料さえ調達できれば事業復興に心配はないと考えていましたが、今思えば、もし、山がダメになっていたら、諦めていたかもしれません。

そして、組合にとっての軸である硯の出荷には課題が多いことを認識しながら、その一方で、震災前から順調だった当社の食器販売実績を踏まえ、硯に比べれば生産難度の高くない食器の販売を、復興の足がかりにできるという確信がありました。

組合として硯産業復興に向けて動き出した初期の頃に、NHKの取材を受けました。とにかく自分が生きている事、そして、雄勝硯は生き残っていることを、連絡先などが流失してしまった従前の取引先の方々にお伝えすることが、この取材を受けた目的の1つでした。

- 復興に際して直面した課題と、また、それをどのように乗り越えましたか。

ボランティアの皆様の協力で津波の足跡から集められた震災前の在庫品を補修し、販売する事で、山から母材を切り出せない時期を乗り切りました。

- 頂戴した支援と、それらに対する思いを教えてください。

とにもかくにも、深い感謝の念に尽きます。ご支援を頂戴した皆様には、感謝の意として「雄勝石製の感謝状」をお送りできればと考えております。

津波によって文字通り全てが消失してしまったからこそ、世間の耳目を集め、これほどまでに皆様からご支援を頂戴でき、復興の足がかりを掴めたと感じています。そう考えれば、ゼロ、になってしまったことは、ある意味では、不幸中の幸いだったのかもしれません。

寄付金や義捐金については、金額の問題ではなく、お気持ちが何より嬉しいです。立場を置き替えた時、自分達に同じ事ができただろうかと、ふと自問自答することもあります。そして、同時に、いつかどこかで同じ境遇に見舞われる方々が現れた時、今度は、自分達がそれらの方々を支援できるよう、組合として前に進んでまいります。

- 復興進捗の現状を見渡して、お考えはありますか。

組合としての復興推進に対する意見のバラツキなど、容易には進まない局面もありましたが、その過程を経たからこそ、今では一枚岩の意志統一ができていると確信しています。他にも課題はありましたが、全て、乗り越えてきたことが今に繋がっていると感じています。

- 雄勝町の復興の現状は、いかがですか。

ガレキは集約され、町並みは綺麗(平ら)になり、道路整備の方は徐々に進んでいるものの、居住環境の復興については、高台移転の問題をはじめ、ほとんど進んでおりません。

- 現在、地域の中心とも言える「たなこ屋街(仮設商店街)」の様子は、いかがですか。

昨年11月にオープンした仮設商店街「たなこ屋街」を中心として人の往来が生まれ、また、たなこ屋街のある旧石巻市役所支所前の広場では、月に1度、各種イベントが開催され賑わい、(被災地)域外からの人の出入りも生まれています。

- 雄勝町が現在直面している課題について、どのようにお考えですか。

やはり、徐々に前に進んでいるとは言うものの、高台移転の問題は大きな課題と考えています。

- 今後の地域貢献へのお考えと、「復興応援隊」について、教えてください。

組合も自身の復興のみならず、街づくり協議会との連携も含めて、復興応援隊運営に携わりながら、イベント開催などの地域活性化を推し進めてまいります。

いつか、雄勝町の家屋建物の屋根や壁を玄昌石で埋め尽くして、雄勝町=硯石の町として街の景観そのものを観光スポットにしたいと、50年先の画を思い描いているところです。

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- 総じて、この1年を振り返り、いかがでしたか。

雄勝硯産業は、復興に向けて着実に前進し、その道筋が形作られてきていると言えます。何より、現在は、事業としての復興への見通しが現実的に見えてきた手応えがあり、思いはあれども何一つ形の無かった1年前とは、大きく異なります。

とは言え、ようやく生産基盤復旧に一定の目途が立ったとはいえ、道のりはまだまだ長く、いよいよこれからが本当の意味での正念場であると感じています。

硯、食器、工芸品、雄勝石から職人の技術により産み出される商品の魅力を、消費者に伝えていくことができなければ、復興は成し得ません。

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- (被災地)域外の皆様へのメッセージがありましたら、お願いします。

まずは、感謝の一語しかありません。そして、雄勝硯の復興は、現地コミュニティの復興のみならず、皆様への恩返しのためにも、必ず成し遂げなくてはならないものです。これからも、どうか引き続きのご支援・応援を、心よりお願い申し上げます。

- 他の被災地の事業者へのメッセージがありましたら、お願いします。

公的支援として用意された補助金などの獲得をもって終わらせるのではなく、それを足がかりとして、次のステップに向けた行動を続けることこそが肝要と考えます。また、行政へのアピールを継続的に実行することも、とても大切ではないでしょうか。

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